雀の渡世

小禽が世を渡るログ 最近は初めての同人誌に挑戦中です

2010両国ピーターパンを観戦して思ったこと

25日にDDTによる「両国ピーターパン」を観戦してきた。



今年の春ごろにとある漫画からDDTとヨシヒコに関心をもって検索をかけ動画を一見して以来、雪崩のようにその世界にのめり込んでしまった。

こちらがその漫画。


それからネットで情報を得たり会場に足を運んだり幸運にもDVDをお借りしたりして知識を増やしはしたものの、ニワカファンはニワカファンでしかない。10年以上の歴史を持つDDTのたかが4ヶ月分だ。だから私がこれから書くことはまるっきり的外れかもしれないことを、卑怯ながらも前置きさせていただく。

のめり込んだきっかけはご多分に漏れずというべきか飯伏選手。飯伏選手の試合はとにかくキャッチーだ。プロレスを知らなくても面白いと思える試合をしてくれる。早く力強く高く、目の覚めるような動きと緩急で繰り返し見ても飽きることがない。技の繋ぎ方は流麗で一つ一つの所作がつま先まで美しい。背中のかっこよさは特筆もので、「鬼が宿る」とはこのことかと思わされる。

それからこれはあまり同意を得られそうにないけれど、ダウンした飯伏選手の背中を見て「私はこれを知っている!」と衝撃を受けたんだった。アングルのグランドオダリスク。裸婦像に似ていると思うのは失礼に当たるだろうか。しかも「解剖学的に正しくない」とされた背中に似ているなんて。とにかく飯伏選手のシルエットは現実には存在しないオダリスクの背中のように美しいフォルムだと私には思えた。

そして情報を漁っていくにしたがい、見たこともないような美しいフォルムをもつ人は見たこともないような奇特なキャラクターであることを知る。知ってますます好きになる。そうなると、飯伏選手のその先にあるものも知りたくなる。DDTの個性的な面々を知ってますます興味を持つ。だから私が観ているものは飯伏選手を起点としたDDT寄りのプロレスの世界だ。起点がハンセンかライガーか橋本か、なんて差はあれプロレスファンになるきっかけなんてだいたいがこんなものなんじゃないかとも思うけれど。

だから飯伏選手が両国を欠場すると知った時はがっかりもしたけれどそれより怪我の悪化という事態の方が心配だったし両国そのものへの期待は全然薄れてはいなかった。だって「あの」東郷さんと「あの」TAJIRIさんが戦うんでしょう?「あの」丸藤さんを生で観れるんでしょ?男色先生は今度はどんな仕事を見せてくれるんだろう。ガントレットはどうなるんだろう。ダークマッチで葛西さん見れるんだ!そしてなによりHARASHIMAさんを応援しなくちゃいけないもの! このように、すぐに通ぶりたがるおたくな性質が幸いして小鹿さん出場決定と聞けば「ああ、両国だからちゃんこつながりかあ・・・」とか考えてしまうくらいにはもうこの世界にはまってしまってはいた。

自己紹介ばかり長くなった。25日の観戦を終えて。

これは、このDDTという現象は、高木大社長の一生をかけて展開するパズルなのかもしれない。そんなことを考えた。大社長は中央不動の1ピースでありプレーヤーだ。自分というピースに親和性の高いピースを探し当てて結合しじわじわ大きくなっていくパズル。近侍はDDT選手の面々、その周囲にプロレス界とファン。「25日にUSTでプロレスやってるって言うから観てみたー」なんて人がいたらその人たちが一番外周に近いと言えるのかもしれない。それでピースがぴちっとはまったひとはパズルの一角として馴染んでいくんだろうし、ぽろっと外れる人もいるだろう。DDTの強さって、この外れた人を追わない大社長の忍耐強さなんじゃないかと考えた。絵面を大きくするために合わないピースを無理矢理ねじ込んだって脆くみっともなくなるだけだと大社長はお考えであられるのではないか。その大社長の美学が両国の会場の一体感を生み出したのではないかと私は考える。

中澤選手のファイアーバードに胸を打たれた人も多かっただろう。男色先生が声を振り絞るマットの下でメイド服の大男が何度も何度も目を拭うのを見た。メインの試合ではHARASHIMA選手はもう立てないんじゃないかと倒れる度に思った。立ち上がるHARASHIMA選手が信じられなかった。だから蒼魔刀が決まり新藤さんがHARASHIMA選手の名前をコールする声が歪んだのを聞いた瞬間、「あ、大社長、今なんかが完成したよ!」ってそんなふうに思った。故障者の多さとか、大変なことも多かったんだろう。その大変さのいちいちを私が知るわけもなく、わかるのはただいろんな人のいろんな努力やアクシデントやドラマが新藤さんのコールに結実した。そしてそれは美しかったということだけだ。そしてその道筋をつけピースを組んで絵を描いたのは大社長、高木三四郎なんだなあ。と。

DDTを見るとどうしても自分の仕事感、ひいては哲学の脆弱さというものをあぶり出される思いがする。なんでこの人たちはこんなに一所懸命になれるんだろうと憧れとともに我が身を振り返って焦燥感を覚えることもある。大社長は2年目の恐怖をたびたび口にされておられたが大社長がいるかぎりDDTは間違わない。迷わない。そんな気がする。3年目、なにを見せてもらえるのか本当に楽しみだ。私なんかまだこんなふうに日曜の余韻に浸っているというのに、ご本人たちはもう次に向けて動き出しておられるのが頼もしい。私もまんまとピースにはめられてしまったようだ。

飯伏選手にはとびっきりの笑顔とサインをいただけた。わたくしめなぞに笑顔を賜られるだけでももったいないのに、アニメとかで使われるキラキラエフェクトが現実に見えるような一点の曇りもない完全に善なる笑顔で目がくらみました。こんなにうれしいことはない。ララァならわかってくれるよね。あっせっかくここまでまじめに書いてきたのに。というかここまでなら「楽しかった夏の思い出」で終れたのだけれども。

25日当日は疲れきって帰宅後ばったりと寝てしまい、パンフを読んだのは次の日だった。そしてそこには「夢と元気をもらいました。ありがとうDDT☆」とかそういう世界では終われなくなってる男がいた。曰く天才。曰くトンパチ。曰く紙一重。あの笑顔の持ち主はこんなにもゲバな精神の持ち主なのかと打ちのめされた。

DDTにはポストモダンと評されるマッスルもある。マッスルは既存のプロレスの枠を土台にパスティーシュを描く。それは決してプロレスにゲバを仕掛けるんではなく愛をもって斜め後ろぐらいにそっと立つ存在であるように思える。それはプロレスを脅かさない。(ゲバととる人もいるみたいだけど)

飯伏選手はインタビューで「やれる範囲ではやり尽くしたんでここから先はやれる範囲の外に行かないと」と語っていた。これは一見マッスルの掲げる「プロレスの向こう側」を想起させるが、飯伏選手が表現したい「やれる範囲の外」にあるプロレスはマッスルの盟主坂井選手が表現してきた「向こう側」とは真逆のプロレスになるんじゃないだろうか。そして飯伏選手がその表現に着手した時(「こういうことがやれたらいいな〜(ポワポワ〜)」というレベルの話ならいいのだが彼ならいつかやりかねんという危惧を抱いてしまう)それはプロレスの枠に収まるものであるのかどうか。

飯伏選手はプロレスからソフィスティケイトされた部分を取っ払おうとしているように読めた。それがプロレスと言えるのか、は、おくとして、少なくてもスポーツじゃないように思う。それは思想で、その思想をプロレス表現を通じて世に問おうというならそれは芸術家という奴なんじゃなかろうか。あのインタビューを真に受けるのなら飯伏選手はプロレスのダダカンさんになってしまわれるんじゃないかとか・・・・本人がなりたいならそれでもいいのか・・・・いや別になりたいなんて一言もいってないけど。

ベルトを穫って、それがなんなの?という感覚には100%共感する。かつてのボクシングやプロレスのように「スポーツは貧乏人が一攫千金を狙える人生逆転の場(って寺山修司の刷り込みだろか)」ならば勝ち負けは必然的に耳目を集めるドラマになる、気がするんだけど、現状はそんなこともない。KOD無差別の煽りVで関本選手がベルトをアクセサリー呼ばわりしていたけれど、プロレス新参者の私にとってはそれは憎まれ口でもなんでもなくただの事実に思える。そんななか飯伏選手のモチベーションがベルトや優勝ではなく「線路でジャーマン」であることには何の疑問もないし、そういう人だから好きになったんだろうなあとは思う。

ただ、そういうことを言ってしまえる人の人生は、そこに口をつぐむ人の人生よりも険しいものになってしまうんじゃないかというのが心配だなあと思ってしまうわけで・・・・とりあえず不法侵入で捕まるくらいならいいけど自分や相手が怪我をするようなことだけ我慢していただければと思うのはファンのわがままでしょうか。これは新参ものゆえの心配し過ぎなんでしょうか。「ダイブして死んだら満足」なんて思うわけないよ。というこっちの気持ちがいくらかでも伝わるといいんだけれど。期待するな期待するなとそこまで言うのならもう期待はしないでおくけれども、せめて興行という枠だけは外さないでいていただきたいと切に切に願う。

例えば火焔太鼓志ん生しかやっちゃいけねえって法があるわけでもない。また、オーディエンスは一回聴いたからもう聴かなくていいって思うもんでもないし、演者は毎回新しいサゲをつくらなくちゃいけないってこともないんだ。新しい試みは別にやっていくという前提で、普段のプロレスも「あー落語みたいなもんかー」って感じに思えれば少しは作業感や過度な期待に応えなきゃって感覚も減ったりしないだろうか。そもそも飯伏選手は一般に広めたいって言ってるけど私だってちょっと前までプロレスを全く知らない一般人だったんだから今のプロレスでも広がってるじゃないか。あれ?でもそれは私がDDTやプロレスにそもそも親和性のある人間だったからで一般人ではなかったということ?? あれ???

インタビュアーを務めた鈴木健さんの反応が面白すぎた。「プロレスを広めたいという気はあります」という飯伏選手の言葉を受けて「あるんですか!よかった」ってほんとにほっとしたんだろうなあと思ったんだけど、そのあとすぐ「広めたいのは自分のプロレス」と言葉を足されての「そっちを世間に届かせたいだけなんですね」というのがもう、なんかこの瞬間健さん諦めたなあ、みたいな。その後の微妙ななげやりっぷりがたまらなくおかしかったんだけど、「新しいプロレスを作ろうと」とか「続けます」という言質を飯伏選手から引き出して下さったことに心からお礼を言いたい。「散る」とか「ダイブ」のあたりで本気でぞっとしたので。

日曜からこっちほんとにいろんなことを考えされられた。両国に関わった皆さんが笑顔でいられる日が一日でも多くあらんことを願って終わります。お疲れさまでした!

それではまた会場で!