雀の渡世

小禽が世を渡るログ 最近は初めての同人誌に挑戦中です

オーブリー→ブルーミー化計画5

なにげなく「忍道」プレイ動画を開いたら囲炉裏だった。何を言ってるのかわからねーとおもうが「そういえばまったりって書いてあったしね」の片鱗を味わったぜ。こんにちは。雀です。


いやーーー可愛いなあ!(バカ親)髪の毛はとりあえずこんくらい残しておくことにしました。すきばさみで量を減らした方がいいのかな?「ブルーミーっぽい衣装を作るならまずはチュールじゃろ」とか思ってとりあえずチュールとチャコペンと仕付け糸を購入・・・これがFF11ならあとは座って「わーーー」ってするだけなのに現実では「何かが出来上がる気配」すらありません。どうしたらよいのでしょうか。あと、チュール1m340円って。やしーーーんだなチュールって。ルミネで売ってたチュール巻いただけのオーバースカート13000円くらいしたぞー。

バブーシュカのつもりで編んだ「何ものか」は薔薇のチャームをつけてショールにしてみました。エミーグランデの太さはブライスにはもはや「縄」だ。

ついでに今編んでるビーズのエジング。レース編みの一番の悩みは編むのは楽しいけど使いどころに困るところ。


私は情報は何でも2chで集めればいいと思ってる2ch雀なのでブライスを買ってすぐお人形板に入り浸るようにあったんですけれど、現実世界がいろいろなよーにお人形世界もいろいろだなというか、四谷シモンリラックマが同じ板でいいんだ!というのが新鮮でした。リラックマスレは他ドールをやってるひとが息抜きにくるスレなのかもしれないけど。

で、どの趣味にしても部外者から見れば「ちょっと特殊」と思える部分があるのかもしれませんけど、それにしても「人形趣味」とうのはとりわけ少しばかり特殊なんじゃないかなーという感想を持ちました。例えば「ドライとウエット」なんて用語ができてしまうあたり。何のことかとざっくり説明するなら人形を単なるコレクション対象としてみてる人=ドライ、無機物以上の何かであると考える人=ウェット、ですかね。公式用語じゃないからその線引きも人によってまちまちでしょうが。

私はどっちかっていうとウェットなのかな? おっことしたりどこかにぶつけたりすると「おお、ごめんごめん」って謝っちゃったりする。人の姿をしてるとねーやっぱりなんとなくぞんざいにはできませんね。ブライススレで「箱出ししてないのが数体押し入れで眠ってる」なんて記述をよくみかけるんだけどなんかちょっとかわいそうだなーなんて思っちゃうし。あのー、昔親が車を買い替えたときに「前の車がかわいそうだ」つってわんわん泣いた子供だったんで人形に限った話じゃないんだろうと思いますが私の場合。うーん、ドライウェットじゃなく「みっちゃん」というカテゴリーを作ってもらったらそっちに近いかなあという気もするのですが。まさちゅーせっちゅーーはしないけれども。

お人形板でリラックマスレの対極にあるのが創作人形批評スレかなーと思いましたが、さすが夜想で育ってきたお嬢さん達は妥協しないね! 「人形は商品であってはならない」「芸術であってもならない」「人形作家はただ 人形 をつくるべし!」みたいな。何かに奉仕する存在であってはならないって不文律が人形愛好家の間にはある気がする。理解できなくもないなーっていうのが、やっぱり人の形をしているからねえ。「人形の人格」を尊重するとそーいうことになってしまうというか、いやほんと凄い人のお人形は魂があるようにしかみえないしなあ。

70年代生まれあたりの我々が球体関節人形を初めて知るきっかけとなったのはやはり「カタンドール」なんじゃないかと思うんですけど、天野可淡って人形界の月影千草というかジェームスディーンというかいやどっちも違うか・・・なんかもう絶対に超えられない一つの壁、みたくなってるよーに思いました。そのカタンドールを撮影したのがやはり人形作家の吉田良さんなんですが、この人は「イノセンス」のハダリのモチーフになった人形を作った方でもあります。イブ=ハダリ=あいどる。「人はなんで偶像を求めるのか?」というのがこのブログのメインテーマだったりしますので(今決めた)自分が人形に手を出したのはほんと必然だったのだなーと一人でものすごく納得しました。がってんがってんがってん。